新約聖書『小黙示録』の預言 ②

●預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が立ってならない所に立つのを見たら……その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。

 屋上にいる者は下に降りてはならない。
 家にある物を取り出そうとして家の中に入ってはならない。
 畑に居る者は、上着を取りに帰ってはならない。

 それらの日には身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。 このことが冬におこらないように祈りなさい。 それらの日には神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。(マルコ第13章14の19)

立ちべきではないところとは、おそらく聖地エルサレムのことだろう。 それが出現したら一刻の猶予もない。 ともかく都会をすてて「山」に逃げなければならない。 このとき執着は命取りになるのだ。 もちろん憎むべき破壊者が人であるとは限らない。 それは心の聖地に踏み込む誘惑や思想かもしれないのだ。 そのほうが目に見える破壊よりももっと恐ろしい。

●イエスは警告する。

 世情が騒然として世の破滅を説く者や救いを説く者が大勢現れたら気を付けなさい。 私の名を名乗る者が現れ多くの人を惑わすだろう。 戦争の騒ぎや戦争の噂を聞いても慌ててはいけない。 そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、地震があり、飢饉が起こる。 これらは産みの苦しみの始まりである。(マルコ第13章6~8)

 まさに退廃した現代社会の描写のようだが、ここに一条の光もあるそれは「産みの苦しみ」という言葉だ。 これは決して暗い表現ではない。 なぜならこれは苦しみの後に新しい希望の世界が到来する(産まれる)という暗示でもあるからだ。 つまり破壊がいかに荒廃を極めようと、その先には人類は希望の光を約束されているのである。

●その時期はそう遠い未来のことではない。 御国のこの福音はあらゆる民の証として全世界に宣べ伝えられる。 それから終わりが来る(マタイ書第21章21)

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●エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいた事を悟りなさい(ルカ第21章21)

「御国の福音」すなわちキリスト教が「全世界に宣べ伝えられた」と言えるのも「エルサレムが軍隊に囲まれた」のもイスラエル建国以後のことである。 つまり現代こそが「預言の時代」にほかならない。

●新約聖書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)の内に「ヨハネによる福音書」を除いた三書のこと。
●「マルコによる福音書」新約聖書の福音書中最古の文書紀元70年代の成立。 後の福音書のようにイエスを神格化せず、生前のイエスの言行を中心に記述するイエスの復活を描く16章以降本来の「マルコ」にはなく後世の加筆だという。

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