聖書の語る終末、その日、その時、世界はどのような様相を呈するのか? キリストの残した言葉を抜粋していきたいと思います。
●小黙示録の預言とは
キリスト自らが語った権威ある予言です。
新約聖書の『共観福音書』にはイエスの弟子たちが、エルサレムの神殿で見てその壮麗さを讃える部分がある。 これに対して、イエスは迫り来るその神殿の崩壊を予言し、弟子たちを戦慄させました。 続いて、イエスは来るべき世界の終末の様子を弟子たちに説き聞かせた。 これがいわゆる『小黙示録』の預言である。 通常、聖書における予言は、神の言葉「預かり」民衆に説き聞かせる「預言者」によってなされる。 有名な「ヨハネの黙示録」も、その他の預言書も基本構造は同じです。 その他の預言書も基本構造は同じですが『小黙示録』は預言を語る主体がキリスト教徒にとっての神のそのものと同一視されるイエス・キリストであると言う点で、その重要性には計り知れないものがあると言わなければいけません。
●現代は「預言の時代」産みの苦しみの時代
新約聖書の預言として最も有名なものは「ヨハネの黙示録」そして終末の情景をかたる「小黙示録」など、このように幾つかに別れた聖書預言を預言内容に基づいてまとめて直してみると聖書世界において、終末は避けようのない未来であり、歓迎すべき神の再興の計画であるとされています。
聖書における人類の終末はいつやってくるのでしょうか?
イエスはこのように語っています。
『その日、その時は、誰も知らない。
天使たちも、子も知らない。
父だけがご存じである』
では、その日にはいったい何が起きるのか?
『人の子が来るのは、
ノアの時と同じだからである。
洪水になる前、
ノアの方舟に入るその日まで、
一人残らず浚うまで何も気づかなかった。
人の子が来る場合も、この様がある。
その時、畑に2人の男がいれば、
1人は連れていかれ、
1人は残される。
2人の女が臼をひいていれば
1人が連れていかれ、
1人は残される』 (マタイ第24章37~41)
ここに2つの重要な情報が書かれています。
まず、破滅は突然に襲ってくると言うこと。
そして『ノアの時と同じ』と言う言葉。
これは、この手の破滅は少なくとも人類にとって最初の出来事ではないと言うことです。 また『2人の内1人が連れていかれる』と言う描写ですが、人の心が善悪に2分されると言うことを示しているのでは? と考えられています。 つまり、苦難のときこそ人の心は真実を現し、その真価があばかれるというのです。
イエスは指示するに続く

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