仏教とは違う宗教にはどのような預言があるのか? ③

●ユダヤ教の終末到来は預言された神の国の誕生を導くのか?

 救世主は悪魔の住む不完全な世界を終わりに導き、より完成された神の国を築くために現れる。 それは万能なる神の業(わざ)の完成として当然の帰結(きけつ)のように訪れるのだ。 これは、しばしば国家を奪われたユダヤ人によって王国回復の予言と考えられ、さらには、より大きな征服王朝への現実的な反映の兆(きざし)として解決されてきた。

 そのため、終末はむすろ歓迎すべきもの待望の象徴でさえあったのだ。 事実イスラエル王国が滅亡の兆候を見せた時、最後の日に神の国が建国されると信じていたユダヤ人たちは終末の到来を熱狂的に望んだと言われている。 だが、終末預言が一筋縄ではいかないのは、神の国の誕生の前には、すさまじい天変地異をともなう大破局(カタストロフィー)がおこり、神の最後の裁きが人類に下されると言う部分だろう。 その対象はあくまで人類全体であってユダヤ人だけが免れるものではない。

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 「旧約聖書」によると終末の到来を望むユダヤ人に対して預言者アモスは最後の日は、期待するような幸の日ではなく、イスラエルの罪がすべて審判される日であると強く警告し悔い改めを迫っている。 預言者イザヤもまた終わりの日には、神の審判が行われることを強調し、それが痴情的な王国の回復ではないことを暗示した。

その後の「エノク書」「マカピー第2書」などの黙示文学では、その構図はさらに具体化される。 それによると終末が近づくと、世の中が騒乱状態となり、神に反逆して立つ者が、最後の抵抗をして世界を破滅におとしいれる。 その刹那メシアが出現し、悪魔を滅ぼし、人類のうち善なる者が、神の国の住人となる。 というのである。 これらを踏まえて登場したのがキリスト教の終末観だった。 詳しくは各項目を見て頂くとして、預言の解釈上、しばしば誤解されやすいのは、これらの預言がその意図に反して、あまりにも現実的に解決されやすい点にあります。
、外に的を求めようとするからです。 だが、本来は逆だったのです。 キリスト教でメシアとされているイエスは次のように述べている。 神の国は、あなたがたの間のあるのだ「ルカの福音書」つまり神の国とは心の救済の象徴なのでは?であります。 神の国が特定の時空に現れるのではなく、各自の心の内面に現実にするというイエスの言葉をじっくり噛みしめてみるところから預言の解釈に踏み込んでいかないと、大きな読み違いをすることになるでしょう。

つづく

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