こうした状況に救いはないのだろうか?
残念ながら、救いがあるという可能性は乏しい。
仏教の終末論は奇跡を説かない。
命ある者が、やがて老いて滅びるように、寿命の尽きた世界と法は、誰がどうあがこうと滅びる。 それを救う超人など存在しない。 世界がそれ自身の消滅のリズムに従い、再び生のサイクルに戻ってくるまで、打つ手はないのである。
仏教には、ユダヤ、キリスト教で言う『メシア』のごとき存在は、予言されていないのだろうか? 強いて言えば『世界の王』たる(転輪聖王)がそれにあたる。 ただし、転輪聖王は、我々が生きている劫のサイクルの中には出現しない。
「諸々の転輪王の出現は、寿命が8万歳より下の時ではない。 寿命が無限から8万歳に至るまでのあいだに、転輪聖王は出現する。 寿命がそれより減じた時には、その時代を生きる人間は転輪聖王の威徳(いとく)を受ける器は失われているからである」
●「倶舎論」は、こう説くのです。
世界を理想的な状態で支配し、治める転輪聖王が現れるのは、人間の寿命が8万歳以上の時代のみというのである。 けれども、救いの可能性がまったくないわけではない。 地上に第2のブッタが降臨すれば、その時点で寿命の短縮は止まる。
「もし世に現れたなら、寿命は100年に1歳ずつ減じる。 しかし仏が世に出て、正法が行われるなら、寿命は減じない」「立世阿毘曇論」はこう説く。 寿命の減少が止まれば、世界の汚濁も止まる。 救済の道が開ける。 そこで仏教徒の一部は熱烈に未来仏の下生を待望し、それにまつわる預言を残した。 それが未来仏弥勒菩薩に関する預言だったのです。
●転輪聖王(てんりんじょうおう)古代インドの伝説上の理想の帝王。 仏典によれば、この王は輪宝、白象宝(びゃくぞうほう)などの七宝を有し、仏と同じ三十二相を備えているとされる。 釈迦が誕生したとき、出家すればかならず仏となり、俗世にあれば転輪聖王となるであろうと予言されたことは、良く知られている事です。
●他の宗教の預言とはどのようなものかと問う人がいましたので、次回からは、仏教の予言はここで終え、他の宗教(ユダヤ、キリスト教の預言)の預言を一度書いて見て比較していきたいと思うので、今から調べていきたいと思います。
にほんブログ村