日本仏教の流れ③

末法の世の危機の中から
平安時代も末期に入ると、一つの特徴的な考え方が生まれました。
仏教が衰えると言う予言的な思想が、貴族・庶民の間に色濃く漂い始めたのです。

末法思想とは
仏教の歴史観ともいうべきもので、3つに分かれます。
1、正法 釈尊の没後千年は正しい仏教が伝えられ、修行すればその高価が現れる時期。
2、像法 その後の千年は仏教の教え場残っているが、教えに従って修行しても効果は得にくい時期。
 (悟りを開く人がいなくなってしまう時期)
3、末法 さらにその後は、仏教の教えが全くすたれ悟りを開くために修行する人が途絶える。
 破戒が平然と行われ天変地異、戦争虚言など横行する嘆かわしい世相となる時期。
 それが一万年も永久にも続く。

この考えによれば日本では1052年がその末法の入りの年でした。
そのため、平安時代末から鎌倉時代初めにかけて人々は大いに恐れおののき、仏教者達も大きな危機意識を抱くようになっていたのです。

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一般民衆にまで広がった鎌倉仏教

鎌倉時代の末法思想の危機意識の中から、幾多の優れた仏教家が出現し新しい宗派が登場してきます。
阿弥陀仏を信じそれにすがって、死後極楽浄土に生まれて悟りを得ようとする浄土信仰を広めたのが、
浄土系四宗
良忍 1072~1132年 融通念仏宗
法然 1133~1212年 浄土宗
親鸞 1173~1262年 浄土真宗
一遍 1239~1289年 時宗

同時代・同じく末法思想の危機意識に基づき「仏陀」への道を禅宗に求めたのが、
禅宗
栄西 1141~1215年 臨済宗
道元 1200~1253年 曹洞宗

浄土四宗や禅宗を避難し「法華経」こそが仏教の真意とする
法華経を基準とする
日蓮 1222~1282年 日蓮宗

これら鎌倉仏教の開祖たちの教説は七宗とも平易な仮名まじり文で発表されたのが特徴です。
短い文章の中に教えの理念がわかりやすくまとめられていました。

そして仏道を実践して手段を一つに絞りこんでいったのです。
法然と親鸞は念仏を
栄西と道元は坐禅を選んだのです。

仏教は貴族や武家社会ばかりでなく、一般民衆の間にも広く浸透していくことができたのです。



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