日本仏教の流れ② 鎮護国家の奈良仏教

奈良時代に入ると、仏教は最盛期を迎えます。
しかし仏教そのものとしての発展ではありませんでした。
仏教は国家の保護のもと、国家統治の方法として利用され国家の支配下に置かれたからです。
その最高潮が聖武天皇の時代です。
全国の国ごとに官立の国分寺(総国分寺が東大寺)が建立されました。
僧侶も国家公務員として扱われたのです。
そして、仏教教義の研究が行われました。
その中心的な存在が当時栄えた六つの宗派「南都六宗」でした。
東大寺大仏に仏の魂を迎え入れる。
開眼供養が盛大に執り行われたのもこのころです。
聖武天皇は僧尼の育成にも力を注ぎます。
その一環として唐から鑑真を招きました。
鑑真は東大寺に戒壇(釈迦の経験した厳しい戒律を授けるための壇)をつくります。
そして正式の僧を認定するための受戒制度を確立しました。
その一方僧侶は奇跡を行う力があるとされ祈祷(きとう)が求められました。
鎮護国家(仏法によって国を鎮め守ること)や五穀豊穣の現世利益の実現も要求されたのです。

奈良大仏.png


貴族と一部の人々の平安仏教
奈良時代から平安時代にかけて、
785年に最澄・795年に空海が、東大寺戒壇で戒律(具足戒)を受けます。
この二人はのちの平安時代の偉大な仏教思想を日本に定着させます。
最澄(伝教大師) 天台宗の開祖で比叡山(延暦寺)を開き
空海(弘法大使) 真言宗の開祖で高野山(金剛峰寺)を開きます。
日本人による初めての開宗でした。

「天台」「真言」の二宗はこの二人によって始められ加持祈祷により貴族社会に急速に浸透していきました。
そして平安時代から約400年に渡り日本仏教を占めたのです。

鑑真(688~763年)
中国揚州の出身で日本律宗の宗祖。
日本から招請に応じ何度も渡航を試みるも失敗を繰り返し六度目に成功。
その12年間に失明するが、受戒伝律を任されました。

具足戒
出家した人々が教団内で守る戒律のこと。
日本では東大寺の戒壇院で授与されていました。
出家して教団に入る際に具足戒を授けるに十分な資格を備えているかが問われます。

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