昔の日本人は「足(た)るを知る」と言う言葉をよく利用していました。
この言葉は、
老子の「知足者富(たるをしるものはとむ)」
禅 の「五唯足知(われただたるをしる」
これらは必要以上に欲しがるなと言う意味です。
人の欲は無くなることはありません。
そして、それを否定することもできません。
やましいことのない欲なら、どんどん出せばよいと思います。
特に「知りたい」と言う欲は、人の成長につながることもあります。
知識への欲は、人の根源的な欲のひとつです。
知識への欲・探求心は、成長につながる欲とも言えるでしょう。
・前向きな人生を歩みたい
・人のためになることをしたい
一般的に上記のようなポジティブな行動要因は
① 好き
(楽しい)
② 責任を担う名誉を得ることができる
(感謝される)
③ 金銭的報酬を得ることができる
(高い生活の質が確保できる)
④ 強制される
(脅かされる)
このような順になります。
純粋な欲はなんに増しても強く人を動かすものなのです。
趣味も人間固有の純粋な欲の一つです。
心身のリラックス・リフレッシュと言う意味でもとても大切なものです。
人間には煩悩があり、他者から何かしてほしいという欲もあります。
これは相手のあることです。
自分の思い通りにはいけません。
そういう欲の達成は、期待しない方が良いでしょう。
しかし、欲を満たしてもらえた時には感謝の気持ちをもつべきでしょう。
いずれも「足ることを知る」ことに人生が豊かになります。
足ることを知れば、生きていくことが楽になり、他者に寛容になることができるのです。
これでよい(心身を労う)
人が有意義な一生を全うするためには、心身を調子よく保つことが大切です。
そして精神の安定を維持できるように、心身をよい状態にすることが大切なのです。
これらを行うためには、
体の声に耳を傾けることが大事です。
体の訴えを聞き、手入れを行います。
社会へ出て半世紀近くの間、私は、生きることに必死でした。
自分で会社を経営し、緊張の解けない日々を送っていました。
仕事では知恵を巡らせ、行動することはあっても、
自分の体に対しては非常に無頓着だったのです。
それは、前述した心身をいたわる理想的な生活とは対極と言えるでしょう。
張りつめた生活のつけが体調に現れた時、
妻や娘が、無理をせずに会社をしめることを進めてきました。
それは経営的にも、他者への迷惑が少なくてすむ最良の時期でした。
事業のすべてにケリをつけ落ち着いた頃、
私は少しでも規則正しい生活をしようと心がける事にしました。
春から秋にかけては、畑をし冬支度用の薪を割る。
そんな生活を行っています。
それらは時には集中力を鍛え、
また、あるときは心身のリラックスにつながります。
外の空気を吸いながら無心となる、それらは私にとって良い気分転換になるのです。
心身の余裕ができると頭の回転も良くなります。
仏教を始めとする世界の宗教への探求心を満たすために勉強をおこない
それらをブログを利用し、表現すると言う日々は不快とは無縁です。
過去に背負った無用な心配・悲しみ・怒りとも、さようならです。
どうせ生きるなら気分よく生きたいものです。
先日、
73歳で高齢者運転の講習に行き、何とか免許の更新を行いました。
こんな細やかな喜びの日々が、幸福なのではないかと思っています。

にほんブログ村
この記事へのコメント
エレマ
主様にもいろいろ教わったそうです
さも自身の台詞の様に話していた事もあったようですが
ここだけの話にしておいてください
そんな父の血をひいたからか 私も探究心や興味ごとが多いようです
それによって成長しているかどうかはわかりませんし別問題なのですが…
足ることを知るに通じているのか
父の歩み 経験したであろう部分や出会った人々
今 自分自身がその道を辿っていると思っています
その時に父が何をどう考えたのか等 考えたりしながら
主様 まだまだお若いです
もっともっとこれからを楽しんで頂きたいですし
若輩の私たちへも いろいろ教えて頂きたいと思っています
ひろゆき
>エレマさん
コメント入れていただきありがとうございます。
コメントに頂いた通り、エレマさんの父君とは良く話をさせていただきました。
とても懐かしく思います。
「後を追える」
と言うことは非常に素晴らしいです。
しかし、時にはプレッシャーにもなるものです。
父君の仕事の仕方は、時代の後押しと言う面も大きかったはずです。
私の現役時代と、今を比べると随分と商売の方法も変わってきましたからね。
「気負わず」「自分らしく」「今と言う時」に思いを馳せてはみるのも良いのではないでしょうか?
暑い日が続きますが、お体に気を付けてお過ごしください。